大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 平成2年(オ)1011号 判決

上告人 安里盛勇 ほか一四名

被上告人 国

代理人 篠原辰夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人前田武行、同本永寛昭、同組原洋、同三宅俊司の上告理由第一について

憲法二二条一項にいわゆる職業選択の自由も、公共の福祉の要請がある限り制限され得るものであるところ、道路運送法(平成元年法律第八三号による改正前のもの)九八条二項、二四条の三の規定が、軽自動車を使用して貨物を運送する軽車両等運送事業を経営する者において有償で旅客を運送することを禁止しているのは、道路運送事業の適正な運営を確保し、道路運送に関する秩序を確立するために必要かつ合理的な制限というべきであって、右規定が憲法二二条一項に違反するものでないことは、最高裁昭和三五年(あ)第二八五四号同三八年一二月四日大法廷判決(刑集一七巻一二号二四三四頁)の趣旨に徴して明らかである。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。また、その余の違憲の主張は、右と異なる見解を前提とするものであって、失当である。論旨は、採用することができない。

同第二について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 貞家克己 坂上壽夫 園部逸夫 佐藤庄市郎 可部恒雄)

上告理由

第一本件処分行為の違憲性について。

沖縄における、軽貨物事業は、本土における軽貨物事業とはことなり、復帰前から、琉球道路運送法の範疇に含められる合法的な運送手段として市民に認知され継続された事業である。復帰に際しても、これに対する明確な運輸行政もないままに今日を迎え、突然積極的な抑制政策に転じたとの経緯がある。

沖縄における軽貨物事業は、これを利用し、生活を維持している者の立場からと、軽貨物事業者からの両視点から検討すべきであるが、いずれの観点からも、軽貨物事業に対する規制は、違憲であるといわざるを得ない。

一 本件処分の根拠となった道路運送法二四条の三は、市民の交通手段を利用し、移動する権利である交通権を侵害するものであって違憲である。

軽貨物車は、後に詳述するように、沖縄における交通機関として、復帰前から広く市民に定着したものである。軽貨物事業に対する制限を加えることは、市民の軽貨物を利用する権利を侵害するものであって違憲である。

(一)憲法上の権利としての交通権

1 交通権とは、全ての国民が自己の意思に従い、自由に移動し、財貨を移動させるための適切な手段を平等に保証される権利である。(「交通権」交通権学会編日本評論社)

憲法二二条、同二五条、同一三条等の憲法上の人権を統合した権利と理解されており、移動の権利は、適切な交通手段の保証によって始めて成立するものである。

2 移動の権利―交通権は、移動する事に自由という自由権的基本権としての性格を有するとともに、経済活動に資する権利として、生存権的基本権の性格を併せ有するものとされている。

その権利の実現は、全ての国民に平等に保証されなければならず、経済的、身体的条件の違い、居住、移動する地域等によって差別的取り扱いを受けてはならないのである。

3 交通権は、取り分け、交通貧困層にたいする保証が計られなければならない。

交通貧困層とは、「適切な公共サービスを条件にかなった費用で利用出来ないため、移動の自由を制限されているグループをいう。」

交通権は、移動の権利として憲法上の基本的人権にまで高められた権利であるから、交通貧困層に対しても平等に適切な交通手段の利用が保証されなければならないのである。

(二)沖縄における交通行政の特徴と、交通権について。

沖縄における交通行政の特殊性

沖縄は、戦後長期にわたって米軍統治下にあり、交通行政、都市開発も本土とは異なる歴史を強いられてきたのであり、その特殊性を無視して本土との一体化を求めることは、そもそも不当である。

〈1〉 沖縄の交通体系は、本土とは異なり、先の沖縄戦により、壊滅した交通体系のもと、まさにゼロから出発したものである。

戦後のタクシー事業は、一九五〇年のガリオア資金による三輪車の輸入に始まる。三輪タクシー免許は、琉球道路運送法が交付された一九五四年以前から開始されている。

当時の事業免許の交付は、三輪車の荷台に座席を付けて警察署に行って許可を貰えばよいという簡単なものであった。法令の規制と実態とは大きくかけ離れていたのである。

〈2〉 当初の三輪タクシーは、荷台に座席を付け、一〇人程度の人と荷物とを混載し、方向の同じ人を同時に運ぶのであり、タクシー的要素と、バス的要素とを併せ持っていたようである。

その後、三輪タクシーは、軽貨物事業に引き継がれ、今日の軽貨物事業へと連続していったのである。

〈3〉 利用者―市民の立場からすると、沖縄の交通体系は、まず、必要性の中からうまれ、それが、事実行為として利用者に定着していく。ところが、行政は、本土法と体裁を整えるため、沖縄に実存する交通体系を無視し、本土法の焼き直しにより道路運送法を制定していったのである。

沖縄における道路運送行政は、発足当初から、実態と法文との間に齟齬があり続け、利用者は、法令よりも実態に従った利用を続けていたのである。

〈4〉 例えば、三輪タクシーは琉球道路運送法でも規制されない運輸手段であるが、琉球道路運送法成立以後も、三輪タクシーは存在しつづけ、しかも運転免許の記載として旅客運送行為を三輪車で可能とする記載を設けている。

(三)沖縄の道路行政、交通行政の貧困と、交通貧困層

1 沖縄の米軍基地の大部分は、終戦直後の米軍による一方的軍事権力によって接収されたものである。米軍は、講和条約発効後も、一旦占領解除した土地に対して米民政府副長官室運用内規第三三号「軍用予定地からの立ち退きを命ぜられた者の移住手続」を発して再収用を開始していく。

2 講和条約による、日本の独立と引き換えに沖縄は米軍支配下に売り渡され、長期異民族支配の下におかれることになる。

布令第一九号「契約権」、同一〇九号「土地収用令」、同二六号「軍用地内における不動産に対する補償」、同一六四号「米合衆国土地収用令」を次々と出して土地の強制収用と、軍用地の長期固定化をはかっていったのである。

これらの軍用地政策は、基本的に基地使用目的地を優先的に確保する事を目的とするものであって、住民生活は無視され、基地用地として適さない部分を県民に割り当てるというものであった。当然に住民に対して与えられた土地は狭小で居住環境を無視したものであった。

3 基地中心政策のため住民生活の整備は遅れ、都市計画も極めて劣悪である。幹線道路を一歩入れば、車の通行の困難な道路が殆どである。これらの道路を運行するには、普通車は不適切であり、軽貨物車輌は極めて有用な運送機関である。

4 軽貨物事業は、沖縄の道路行政、都市行政の遅れを補填する最も有効な輸送手段として、県民に広く是認されているのである。

(四)利用者にとって不可欠の輸送手段である。

1 沖縄の伝統的商慣習と結びついた軽貨物事業

沖縄の伝統的商慣習として農漁村の主婦が自分たちで取った少量の商品を市場に運び、客と相対で売買するという、相対売りが今日も盛んに行われている

相対売りを行う主婦は、みずから運送手段を持つだけの資力はなく、結局、軽貨物車を頼らざるをえない。商品と、人を同時に運んでくれる軽貨物車は極めて有効な運送手段である。

2 また、「マチグアー」と呼ばれる小さな商店では、自ら市場に少量の商品を買い出しに行ってこれを持ち帰り商売をおこなっている。自前の運送手段を持たず、また少量の商品であるため、荷物運送にもなじまず、軽貨物車に荷物とともに同乗して運搬するという方法が復帰前から取り続けられてきた。

3 道路事情の劣悪な、那覇市内の多くの市民にとっては、軽貨物車は最も有効な交通手段なのである。

(五)以上の通り、今回の法改正は、軽貨物車を利用する側の有する交通権を侵害し取り分け、交通貧困層に対する交通権を著しく侵害するものであり、沖縄の歴史的特殊性を無視した違憲な法改正であると言うほかない。

二 軽貨物従事者からする、本法改正の違憲性について。

以上、軽貨物利用者からする違憲の主張をしたが、本法改正とこれを受けてなされた今回の行政処分は、次の通り軽貨物従事者の権利を不当に侵害するものであり違憲である。

(一)沖縄の道路運送事業の経緯を無視した法改正であり、憲法第二二条の保障する「職業選択の自由」を侵害するものである。

1 職業選択の自由は、「公共の福祉」に反しない限り保障される事は是認しなければならないが、いわゆる貨物と人との混載方式による貨客運送行為は、沖縄の運送業種として、定着した輸送手段であるから、これを制限しうるとしても、私有財産の収用に準じた適切な補償をすべきだったのである。

2 沖縄の交通行政の歴史

(1)沖縄の個人運送事業は、一九五〇年のガリオワ資金による三輪車の導入に始まる。三輪タクシーと呼ばれていたが、これは、荷台に簡単な乗客用の座席を作り、複数の人と荷物を混載する乗合タクシーの如きものであった。現在もフィリピン等に現存する「ジープニー」に似たものであった。

(2)三輪タクシーがすでに運行を開始した後の一九五四年に(琉球)道路運送法が交付(編注・「交付」は「公布」の誤りか)される。しかし、三輪タクシーは右法制定にもかかわらず、存続し、しかも、その免許も交付され続けていたのである。

当時の三輪タクシーの免許は、警察署に使用車輌を持参して担当官の確認を得ればいいというものであって、道路運送法のいわば埒外にありながら、公認されていた運送手段であったのである。

甲第一七号証は、当時三輪タクシー業務に従事し、現在も軽貨物事業に従事している者の免許証であるが、その裏面には、「旅客の自三のみ運行可」との記載がある。

これは、自動三輪車による旅客運送を認めるとの免許証である。しかもその免許を取得したのは、昭和三五年(一九六〇年)四月一八日ということになる。琉球道路運送法で成立した以後にも、自動三輪車による旅客運送免許を交付していたということであり、沖縄の運輸行政が道路運送法により、統一的になされてはいなかった事も物語っている。

(3)その後、三輪タクシーは、小型タクシーの出現バス路線の地方進出により次第に経営状態が悪化し、陸運課の指導により小型タクシーに代替えをすることになる。しかし、三輪タクシー三台に対して一台の割合でしか免許交付をしなかったことから、小型タクシーに移行したのは七五台であり、多くはそのまま三輪タクシーとしての業務を継続した。勿論、その間に指導、処罰等は何らなされていない。

(4)三輪タクシー業者として残った者は、その後、使用車輌である自動三輪車が製造されなくなった事等から軽貨物車による運送事業に転出することになる。

(5)琉球道路運送法によると、軽貨物運送事業は、一般小型貨物運送事業として免許制がとられていた。三輪タクシーの流れをくむものとして、人と荷物の混載による輸送手段であるとの認識を利用者、事業者ともにもっており、その事による問題がおこった事はないのである。

(6)かような背景をもって、一九七二年沖縄は本土復帰し、本土法の適用がはじまる。復帰前の一般小型貨物運送事業は、免許制がとられ、台数も限定されていたことから、需給バランスも維持することが出来ていた。

ところが、本土法は、軽貨物運送事業について、届出制がとられ、届け出さえすれば、事業が可能であるということで、新たに多数の事業者が参入することになる。

一部の者に対しては、「一般区域貨物運送事業」免許への切り換えを認め、免許事業として事業変更をするが、軽貨物車輌を普通車輌に変更しなければならないことから、多くの一般小型貨物運送事業者はそのまま軽貨物運送事業に転身する。

復帰に際して、沖縄の「一般小型貨物運送事業」従事者に対して、適切な方策をとっていれば、今日の混乱は生じなかったのである。

3 復帰に際しての陸運事務所の対応について。

(1)復帰に際して、陸運事務所は、軽貨物事業者の届け出を大量に受理し、一挙に五千台とも、六千台ともいわれる大量の軽貨物事業を認める。これによって、タクシー事業とのトラブルが生じ今日の問題の発端を生じたのである。

(2)復帰直後の昭和四七年一〇月九日沖縄総合事務局、沖縄権陸運事務所は「県民のみなさまへのお願い」との文書を発しているがその中で「貨物運搬のための軽車輌等運送事業は、本来、一定の場所や事務所で貨物を運送したい客の申し込みを持つ事業です。ここにいう貨物とは、大きさ、貨物の性質上から社会通念上タクシーで運送できないようなものを意味し、貨物のみを輸送するのを原則とします。貨物の積降し、看守等の必要最少限度の人員の輸送は許されますが、それも貨物を輸送する目的の範囲内でなければならず旅客の運送をも目的とする場合は違法行為となります」と記載している。この文書によると、荷主の添乗が一切許されないのではなく、一定限度での荷主の添乗を認めるかの如き内容になっている。

(3)これを受けて、陸運事務所は、軽貨物事業者とともに街頭指導をおこなったが、その際の指導によると、四〇センチ四方程度の紙袋については、これは軽貨物者が荷主を添乗させることの出来る荷物であるとの指導をおこなっているのである。

(4)また、軽貨物事業者が急激に増加したことから、タクシー事業との間に混乱を生じたことから、その制限をするため、軽貨物事業者に組合を設立させ、法人化を認めている。新規事業者の届け出や、使用車輌の代替えに際しては、組合の軽貨物事業者である旨の証明書の添付を必要とし、前述の街頭指導も、右法人組合とともに行っているのである。

現在法人組合は、全琉で四団体が現存している。

控訴人らの所属する沖縄軽車輌事業協同組合も、その一つである。

(5)軽貨物事業者に対する行政指導は、混載の可能性を前提としての指導であると同時に、昭和五八年の衆議院選挙までは、選挙管理委員会の委託を受け、投票箱とともに職員を添乗させて開票場まで運送するとの業務の委託を受けていたのである。

4 結局、これまでの行政の対応は、軽貨物による貨客の混載による運送行為を禁止するものではなく、混載を前提としつつ、その範囲を限定し、タクシーとのトラブルを避けようとするものであった。これらの経緯を踏まえるならば、今回の法改正は復帰前から原告らの従事していた業務を刑罰によって制限しようとするものであって、憲法の保障する職業選択を著しく制限するものであり違憲である。

第二本件処分の違法性について

(一)今回の法改正の経過について。

1 沖縄の軽貨物事業は、以上の通りの経緯をもつことから、法改正にあたっては、沖縄・奄美について特に附帯決議を設けており、実行性ある生業対策を実現する事を求めている。

即ち、「沖縄県および鹿児島県奄美地区においては従前より軽貨物車輌運送事業を経営している者に対しては、適切な指導期間を設けるとともに、関係地方公共団体等の協力を得て、早急に実行性ある生業対策を推進すること。」というものであった。

2 この附帯決議を受けて運輸省地域交通局長・運輸省貨物物流局長は「軽貨物事業に対する生業対策の推進について」(昭和六〇年四月一九日、貨陸第六〇号)を発して

「附帯決議に言及されている「指導期間」は、沖縄県での生業対策を推進していくこととの関連で設けられたものであり、その趣旨は道路運送法違反行為を行った者をいきなり摘発するということではなく、……指導期間中は……ただちに取り締まりの対象とはせず、違反行為によることなく生活がなりたつように指導するとの趣旨である。」

との通達を発し、生業対策が出来るまでは、仮に有償旅客行為であったとしても取り締まりの対象としないとしているのである。

3 沖縄総合事務局は「生業対策要綱」(昭和六〇年一二月一九日)を一方的に出し、七項目の生業対策を呈示した。

i 本来の軽貨物事業による生業化

ii 兼業に専念する生業化

iii 転業による生業化

iv 現在の技能でつける職への転職

v 職業訓練を受け、新しい技術を習得しての転職

vi タクシー運転手への転業

vii トラック運転手への転業

というものであった。

しかし、軽貨物従事者は高齢者が多く、何れも実現不能な内容であり、しかもいずれの項目も軽貨物従事者の意思を無視したものであって当然にもその実効性は全く上げえていない。

4 附帯決議を受けて開かれた懇談会は、沖縄総合事務局運輸部長を座長、陸運事務所長を副座長とし、沖縄総合事務局関係者七名、軽貨物事業者四名、外、県関係者七名、沖縄県商工会議所連合会常任幹事一名が参加メンバーであったが、事実上総合事務局関係者のみが主導した会議であった。

軽貨物従事者は、自分たちの問題であるから、参加させるように強く求めたが、各組合の理事長のみの参加しか認めないというものであった。

従って、その内容も、生業対策の実効性を上げる意図はなく、形式的に懇談会を開催したという程度のものにすぎなかったのである。

5 右の七項目の生業対策は極めて形式的なものに過ぎないが、さらに、今回の処分には、次の通りの経緯がある。

右七項目の生業対策案が示されたのは、昭和六〇年一二月一一日であり、処分が始まるのが昭和六一年四月九日からである。一応の指導方針がきまり、わずか三か月を経過した時点で処分を開始しているのである。

陸運事務所は、当初から指導期間とは、処罰規定の適用が定められている一年間のみであるとしているが、附帯決議の内容およびその説明に際しては、軽貨物事業者の大多数が生業に就くことができるまでが指導期間であり、その間は処分、処罰の対象とはならないとの説明を受けていたのである。

(二)本件各処分の違法性について。

以上の通り、今回の処分は、道路運送法改正を受けて行政処分を開始したものであるが、附帯決議に反する違法な処分であると言うほかない。

附帯決議は、法的拘束力はなく、単に道義的政治的効力をもつとに止まるとの見解もある。

しかし、本法改正の審議経過をみると、改正にあたって最も重視されたのは沖縄・奄美の取り扱いである。

本改正と同一趣旨の改正案は昭和五八年にも一度提出されたが、審議未了のまま廃案となっている。

附帯決議は、沖縄における道路運送事業の歴史的地域的特殊性から特に右附帯決議を付したのである。

本法改正に対して、沖縄の多くの県民は反対し、各自治体の市町村長、議会議長、議員等を含めて合計一七万人あまりの反対署名が寄せられている。

これら、県民の多くの反対を押し切って法改正が行われたものであり、しかも軽貨物運送事業は、本土には殆ど存在せず、沖縄のみが実質的な対象となる本法改正においては、沖縄の実情を無視しての法改正は不可能であったことから、かような附帯決議が付されたのである。

従って、法改正が仮に違憲でないとしても附帯決議に反する本件各処分は実質的に違法であるというべきである。 以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例